55歳からの山登り

55歳になった今、これまでの山登りを振り返って、これからの山登りを考えてみます

どうしたら山登りがしんどくなくなるのか? その1

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どうしたら山登りがしんどくなくなるのか?

それが分かるんだったら教えて欲しい、、、って感じですよね(笑)
しかし僕の場合、例えば金剛山に登るぐらいなら(千早本道で)、あっという間に登れてしまいしかもまったくしんどくはないのです。

しかし最初に登った時(おそらく40代前半)はしんどかった。
金剛山ってこんなにしんどいものか、、、と思ったものだ。

しかし最近は「金剛山ぐらいで、、、」なんて言葉が出るぐらいしんどくなくなった、というのは明らかに僕自身の体の変化、があったからなのです。

さて、はっきり言いましょう。
山登りがしんどくなくなるには「トレーニングをする」しかありえません。

トレーニングすることなしに楽に山に登ることは「出来ない」と思ってもらってもヨカです。何故ならば山に「楽に」登るには相当な筋肉量が必要ですし、その筋肉は日常生活の中では間違いなくつかないものだから、であります。

いや、住んでいる家が、500mも急な坂道を登っていかないとたどり着かないとかだったら別ですけどね、、そんな家、めったにありませんから。

だったら「トレーニング」するしかないですよね、山に登り続けたければ。

じゃあ、次回はどんなトレーニングをしてきたのか、、を説明します。

 

最初はしんどかった山登り

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写真のExif情報を見ると2003年12月30日という日付になっているので、今から15年前(40歳前後)の六甲山へ登っている途中の写真である。
厳密に言うと新神戸辺りから布引の滝を経由して、トウェンティクロス、徳川道を歩いて恐らく摩耶山まで登ったのであろう。

この写真はトウェンティクロスの途中で撮った写真に間違いない。

今から見るととっても「登山」という様なカッコをしてないのが可笑しい。
分厚いジャンバーを来て、中は恐らくダウンジャケットを着ているはずだ。
そして何故かジーパンを履いて、靴はホーキンスの登山靴モドキを履いているではないか、、、

このホーキンスの靴はほぼ年に一度だけ履いており、たぶん10年以上は軽く履いていたはずだ。そしてこの時はまだ僕はホーキンスの登山靴は「本格的な登山靴である」と思っていたのであった。

靴の話はまた別の時に書くとして、、、

15年前の登山はしんどかった。
最近はこのトウェンティクロス・徳川道経由で摩耶山へは行ってないのでコースの内容はまったく覚えていないのだが、最近は六甲縦走のルートでもある天狗道を歩いて摩耶山に行くことがほとんど。

なので、徳川道のしんどさも詳しくは覚えてないのだが、この頃の山登りは行けども行けどもたどり着かないイメージが頭の中に焼き付いている。
なので恐らく「登山は年に一度」と決めているわけでもないのに、その様に考えていたのだと思う。
特に六甲山は石が多く、重い登山靴で歩いていたら脚の疲れとともに、足の裏が痛くなってしまうのであった。

山を降り、新神戸にある温泉に身を委ね、疲れきった脚をゆっくりゆっくりマッサージしていたのを思い出す。新神戸から摩耶山。600mぐらいしかない高低差を登っただけの、今から思えばハイキングのような行程なのですが・・・・

しかしよくもまぁこんなスタイルで登っていたものである。

登山は服装も含めて道具というものがいかに大切なのか、というのがこの姿を見て改めて思った次第である。

山登りをしたきっかけ

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山登りを始めたきっかけ、というのは、あれは確か20歳台の後半、先輩のKさんが結婚して、離婚して山登りを始めた、と聞いて、じゃあ僕も付き合おう、と急いで靴を買ってきて年末の慌ただしい時に六甲山へ登ったのが最初だった。

あの時は恐らく

「話でも聞いたあげよう、、」

という気持ちだったように思う。
結婚したのはもちろん知っていた。でも結婚式は身内だけで上げたはずなので、どんな人と結婚したのかは知らなかったけど、一度だけ家に遊びに行って奥さんに軽口をたたいたかすかな記憶だけが残っている。

K先輩の結婚生活は1年も持たなかったらしい。
家に遊びに行ってしばらくして、何回か電話をしたんだけど(その頃は携帯はなかったので家の電話に)、誰も出ず、おかしいなぁと思ってもうひとりの先輩に「もしかしてKさん別れたんちゃう?」なんて冗談で言ってたのですが、もうその頃には別れていたことを知ったのはその六甲登山のときでした。

「傷心登山」

ってその時は言ったりしておりましたが、実際山登りというのは久しぶりに登るとこれほど辛いものはなく、早く頂上へ、早く光が見える場所へ、とそんなことばかり思いながら登るものですから、まだその時は「登山の楽しさ」なんてものは感じることが出来なかったように思います。

ただ、六甲山の頂上から魚屋道を通って有馬に降り、温泉に浸かる頃になるとようやく「あぁ、登山って気持ちいいなぁ、、」と思えるようになるから不思議なものです。
ただ、それからも「山の虜」などにはなることもなく、年に一度だけ、恒例の山登りということで年末に六甲山に二人で登ることをずっと続けることになったのでした。

 

55歳、山登りをしてる人の割り合いは?

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僕の中学校の同級生の数はほぼ500人。

その中で山登りを趣味にしてる人って何人いるんだろうか、、、と漠然と考えてみた。
実は50歳の時に学年の同窓会をした。この時に集まったのが100人ちょい。しかしその後にFacebookやら、繋がりやらがだんだんと判明していって、恐らくいま判明している人の数は200人ぐらいだろうか、、、

その200人を対象にして山登りを趣味にしている人、または山登りをしたいと思っている人などあの手この手で勧誘して、ハイキング部を作り、そして、発展形として(ついてこれる人だけで)登山部を作って時々登山やハイキングを行っている。

しかしその数も増えないのよね、、、

何故だろうか、こんなに楽しいのに、、といつも思う。
山登りはしんどい、山登りは大変、歩くのだけで十分、山登りなんかして怪我したらどうするのん?
あぁ良く聞く言葉だわ。
うちの弟にも

「怪我したらどうするねん、無責任とちゃうか」

と言われたことがあるもんなぁ、、ふぅ(苦笑)。

まぁ、多かれ少なかれ運動をしない、と言う人達の発想というものはそんなもんだと考えて良いかもしれない。つまりは運動をすることによって生ずる不利益を何とか考えだして、それにかこつけて運動をしない人が非常に多い。

では最初の問に戻ると「55歳、山登りをしてる人の割り合いは?」は同級生500人としてその中で山登り趣味とする、という人の割合は10人ぐらい、だろうと思う。
つまりは500分の10で約50人に1人という感じになる。
クラスで一人いるぐらいの計算だな。

中学校の時にクラスで何人運動部に入っていただろう?

たぶん半数以上が入っていただろう。
そこから、年を経て、どんどん脱落者が増えてきて、山登り以外の運動をしている人を含めると55歳になってクラスの中で運動を続けている人は2人ぐらいかな?
その50分の2人に含まれるかどうか、で人生のクオリティが変わってくると考えているのだが、大げさだろうか、、、

 

体力は40歳を境に減退していく?(その4)

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一番最初の富士登山、登りにかかった時間はおよそ8時間。

かなり遅い(笑)

まぁ、これは子供もいたし、最初の富士登山だし、何よりいつも山に登っていない面々での登山ゆえある意味仕方のないことだと思う。

では、一人で登ったら一体何時間で登れるのか?

というのは、何年か後、一人で富士山に登ることになって初めてわかったが、その頃にはすでに僕の体力は最初に富士山登頂した頃よりも確実にアップされていたのだ。

その時のタイムは4時間。

これは須走口からの記録なので、少し自慢できるタイムである(富士宮口だと1時間ぐらい短いはず)。

最初が8時間で、何年かして4時間で登れるようになった。この間には何があったのかというと、やはり速く登るために自宅で腹筋などするようになったこと。そして、時々ではあるが山に登る様になったこと、があげられる。

つまり「毎年一度は富士山に登る」という目標を掲げて、少しずつ目標に向かってトレーニングらしきものするようなってから、体力が今までよりも増進していくことになったのである。

さて、ここまで書いてきて一つの結論が得られたように思う。

「体力は40歳を境に減退していく」のか?

それは無い。

体力はその人の努力次第で、伸ばしていくことが可能である。

これは紛れもない事実。
ただし、それも限界があるので、その辺りを少しずつ見極める必要があり、人それぞれで体を調整していく必要が出てくる。
この調整が難しいところであり、キモでもある。

 

 

体力は40歳を境に減退していく?(その3)

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8合目の山小屋に着いたときである。
沢山の人が休憩していて、これから挑むその頂きを見上げながら、どの顔も緊張した面持ちである。ただ気持ちは高ぶっているのか、彼らの会話は緊張と裏腹にとても弾んでいるように聞こえてくる。

「富士山はなぁ、ここからがしんどいねん」

一人のオジサンがそんな事を口ずさむ。
僕は心の中で思った。
「これまでも、相当しんどかったのに、、それよりももっとしんどいのか、、、」
思わず気持ちが折れそうになったのだが、ここまで来てやめるわけにはいかない。

気持ちを奮い立たせて、頂上へと続く道を見上げながら一歩ずつ足を前に出す。呼吸はかなり苦しく、しかもそのせいかどうか、頭はかなりフラフラしている。階段を一段上がるたびに後ろに倒れそうになるのはきっと高山病の兆しなのだろうと、認識しながら足をあげる。

一歩、そして一歩、しかしなかなか前に進まず足の疲れと、呼吸の苦しさで何歩か登っては休憩、登っては休憩を繰り返す。
そして白い鳥居が見えてきて、ようやく頂上の小屋らしきものの建物が見えてきた。

最後の一段を踏みしめた後、フラフラの状態で休憩所へと向かい、ヘナヘナと座り込む。
時計を見たら、12時30分。
登るのに8時間近くもかかってしまった。

8時間、えらいかかっとる。

出発時に山小屋のおじさんか6時間って言われてたのに2時間もオーバーしてしまった。

これはなんとも残念すぎるよなぁ、、、

続く、、、

体力は40歳を境に減退していく?(その2)

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そんな40歳台の半ば、横浜に住んでいるMくんとたまたま飲みに行く機会があって、その時に「富士山に登らへん?」という話になった。
老若男女、誰もかれもがよく口に出す

「死ぬまでに一度は富士山に登ってみたい」

というヤツ、、その類(笑)
まぁ僕はこれでも年に一度は六甲山に登っている(自慢にはならないが)ので「山に登る」という行為にはほんの少しMくんよりもアドバンテージがある。

しかし、Mくんの方が2歳年下なので、年齢と言う意味ではほんの少しではあるがMくんの方にアドバンテージがある。目くそ鼻くその差ではあるが、、、、

そして計画は練られた。
僕の方は僕だけでなく、嫁さんと息子(小学校4年)が行くことになり、Mくんとの4人で登ることになった。

車中泊して朝の5時に出発する我ら4人。5合目の山小屋のおっちゃんに声を掛けられて話をしていると僕らの様子を見て「まぁ、6時間ぐらいで登れるかな?」とアドバイスをくれた。初体験の僕たちはその6時間が速いのか、遅いのかという判断がつかず、5時に出るのであれば頂上には11時ぐらいに着くだろう、、、という軽い気持ちで登り始めたのであった。

7合目にやっとのことで着いた我ら。しかし、嫁さんと息子はすでにグロッキー状態。息子は高山病で嫁さんはそれに加え日頃の運動不足で、もう一歩も先へは進まない状態。なので、降りる時にどこかで落ち合おう、ということにしてMくんと僕は二人と分かれることにした。

もちろん僕ら二人も余裕があるわけではない。こんなに空気が薄い環境は初めてだし、偉そうに言うほど鍛えているわけでもない。呼吸はゼーゼー、脚はガクガク、最後の8合目からの登りなんてもうフラフラの状態で登ったものであった。

続く、、、